村社会の弊害

こんにちは、守屋です。

ある地域では伝統のお祭りやイベントに向けて1年毎に集会、親睦会を開催して祭りがあるその日に向けて集団意識を高めます。

そこに20代の青年が引っ越してきました。祭りに魅力を感じ人手(後継者)不足というのを耳にして、何か自分に出来ないかと移住を決めました。

引っ越してきたその男性は、地域にある居酒屋や飲食店を回りながら親睦を深めました。

そしてある日、意を決して人手不足を解消するためにAIを使った情報発信や伝統の一部に手を加えることを提案しました。

すると村の住民は「お前は伝統を壊すために来た野郎か。俺たちには伝統と流儀がある。お前なんかに何が分かる。」と敵対心をむき出しにしてきました。

 

男性は何度も言い続けましたが、言えば言うほどに蚊帳の外に追い出され最終的に村を出ていくことになりました。

 

「村」という帰属意識が高いと、外部の人間は全て敵に見えてしまう

地方に限らず何かのコミュニティに属したりすると、その世界が全てであり、それ以外は敵だと考える人が少なくありません。

自分の世界こそ正義だと思うが故に敵対心をむき出しにして攻撃する人もいます。

コミュニティの場合、脱退すればいいだけの話かも知れません。

ですが、村や伝統的な祭りなど、存続が危うい状態が続いているにも関わらず敵対心が強ければ伝統や村を失ってしまう可能性が強くなってしまいます。

ダーウィンは言いました。

「生き残れるのは、変化に対応できる者」

つまり村意識が強く、変化を拒み現状に固執する限りは生き残ることが出来ないということです。

伝統や村というのは決して既存の形を維持することではなく、形を変えても継承されていくことの方が重要ではないでしょうか。